中善は紀淡海峡・紀州加太沖の本脇地先に、曾祖父の代に創業しました。
頃は、明治。現在のようにシラスを生業として商いをしていたと言うよりも、小魚や鰯(いわし)の地曳漁や加工運搬などを主にしていたようで、シラスの商いは昭和に入ってからのことだそうです。
ここ本脇には、そうしたシラスを生業とした網元さんと加工屋さんが何件かあります。
今は、ここ近年の漁の減少もあり、自然相手の商売はなかなか厳しく大変なことの方が多いのも事実です。それでも地のシラスの値打ちは大変なもので、魚市場でも一等の値がつきます。

渦潮で有名な鳴門(なると)海峡にも負けず劣らずの荒潮の加太沖。
その厳しい条件の中で生まれ育った地のシラスは、身もしっかり引き締まり、素性・鮮度・味ともに格別です。
本脇のシラス業の伝統は、わたし達の貴重な財産ともなっています。
そして、今も変わらずその一端で商いをさせてもらえていることは大変ありがたいことです。

その昔、紀州のイワシ漁は日本全国でも、もっとも優れた漁法を持っていたとされています。
先人達が起こした技と知恵に恥じないよう、真摯な態度で取り組んで守っていかなければいけません。
これからも、中善は、大自然に感謝することを忘れず、シラスと向き合い努力して行きたいと思います。

なんといっても我が家の大御所・中善の看板しょってる釜あげ名人の心意気は天晴れです。
紀州本脇の肝っ玉母さん・順子はただいま65歳。

鮮度の良い、美味しいシラスを食べてもらいたいから、毎日釜の前に立ちます。
「ほんま、美味しかったわ。」「最高の塩加減のシラスやな。」「なんで、ココのはこんなに美味いんやろ。」工場に直接買いに来てくれるお客さんは皆、最高の笑顔をみせてくれます。

釜あげ名人のシラス造りへの追求は留まることがありません。『この年になっても、毎日が勉強やわ。』 と素直です。

自然の海から獲れるシラスには決して同じものがありません。
材料を配合して作れる物とは違って、自然の産物を生かすも殺すも釜あげ名人の技次第。
それだけに 「こうしたらどうやろ。」「この方がいいんちゃうか。」 そうやって長年の経験でその時の生シラスに応じた最高の釜あげをこしらえます。
毎日シラスから教えられ、歳を重ねてきた母さんは、頑固で正直もの。 丁寧な仕事に誇りを持っています。

お客様に喜んでもらえるシラス造りをこれからも精進して行きたい。
おかげさまでまだまだ心も体も、もちろん口も元気な肝っ玉母さんです。